私のどん底を救った自己受容とは 体験談①

自己受容とはつまりマインドフルネス=(気づき)+(受容)ありのままを気づいて受け入れることです。

今回は、少し勇気がいりますが、私の人生とマインドフルネス、自己受容を知って救われた経験について告白したいと思います。

まず、前回の記事でBeing(存在そのもの、自分の感情や、感覚)の大切さについて書かせていただきましたが。

私自身、幼少期から、ありのままの自分に価値を見いだせていなかったことに今になって気が付きました。

私の家庭は少し変わっていて、両親は施設をやっており、青年の自立を支える仕事をしていました。

なので、家では年上の青年たちと一緒に暮らす生活をおくっていました。

言ってしまえば赤の他人だけど家族のような不思議な関係。

両親がいなくて、愛情を十分に受け取ることができずに育った人もいます。なので親を半分取られたような感覚でした。

なので私がお父さん、お母さんと呼ぶと嫉妬されて軽い嫌がらせを受けていたそうです。(その記憶はないのですが。)

私は甘えることができず十分に愛情をもらっていたにも関わらず、愛されていない、そんな勘違いをしていました。(でもいまでは親にかなり愛されていたと気づくことができましたが)

もちろん可愛がってる人もいました、自転車の後ろに乗っけてもらっていろんな所に連れて行ってくれたり、一緒にクワガタを捕まえにいたりと刺激的な毎日でした。(おかげで今は社交的になったのかも)

話を戻しますと、親に構ってほしい、注目されたい、褒められたい、そんな風に思っていたのでありのままの自分ではダメだ、

サッカーをしていたのですが、プロサッカー選手にならないと価値がない、県の選抜に選ばれないと自分はダメだと思っていたため、セレクションで落ちた時には親に顔向けできませんでした。

小学校の持久走大会も六年間一位になりました。サッカーも県の選抜で試合に出れるようにもなりました。 高校では超過酷で有名な名門校にも行き寮生活をしました。

でも、いくら結果を出しても心は満たされませんでした。ありのままの自分に価値を見いだせてなかったからです。

満たされていくのはdoing,havingだけ根柢のBeingが満たされていないため、私の心の中は自分を責め続ける声や、生きづらさ、しまいにはサッカーも好きではなくなり、ただ周りの期待に応えるために頑張るだけ。

自分がやりたいことや、自分の感情を偽っていました。

そして私はサッカーに将来をかけ部員300人の大学に行き、挫折をしました。

その上、私はどんどん落ちていきマインドフルネス、自己受容を知ります。

続きは次回書きたいと思います。

より多くの人の役に立てたら嬉しいのでリンクを貼って紹介していただいたら幸いです。